くらす

本物の素材を選ぶ。

ときをためる くらし②(住まい)

June 9, 2018

 


「はーい」という声と共に、勝手口から現れた、ひでこさん。


映画の中のひでこさんと同じひでこさんだ~。当然だけど。

 


映画を撮られたのが、3~4年前だけど、まったく変わっておられない。

 

 

 

「うちには、玄関がないのよ」と、


ぐるっと回った庭のテラスの方へ案内されて、


「こちらから入って」とテラス戸から、家の中に入らせてもらう。

 

 

 

あいさつも程ほどに、ダイニングテーブルに座って、

 

いろいろ話を始めてくれる英子さん。

 

 

 

広島からやって来た私が、懐かしかったのか、


10年間おられた、広島時代の話から始めてくれた。

 


修一さんが、36歳の時にこの高蔵寺に東京から来られて、


公団のお仕事が一区切りついた、14年後の50歳の時に、


修一さんは、広島大学へ招聘されて、赴任された。

 


月曜日の朝に、高蔵寺から広島へ出勤して、金曜日の夕方にまた高蔵寺へ帰って、


土日は、高蔵寺で過ごす、という生活を、10年間続けられたそうだ。

 


その時の、お給料、ボーナスは、この高蔵寺から広島に通う交通費にほとんど消えて行った、とのこと。

 

私も土地勘があるところなので、いろいろな広島での思い出を、


楽しく聞かせていただいた。

 

 

広島での10年間は、修一さんは毎日、大学へ。


ひでこさんは、その間、東広島の高屋に、畑と田んぼを借りて、


野菜と、米作りにぼっとうされていたようで、

 

「ほとんど、広島のいいところに連れて行ってもらってないのよ。」とひでこさん。


10年が過ぎて、また高蔵寺へ帰る前に、一度だけ、宮島に修一さんが連れて行ってくれたそうだ。

 

 

いきなり話しが始まったので、家の中を、ほとんで見ることなく、


ひでこさんの話しに聞き入っていたら、


あっという間に、2時間近く経っていた。

 

 

 

話しがひと段落したところで、ひでこさんが、お茶を煎れてくれたので、

 

 


その時やっと、周りを見渡し、家の中をじっくり観察することができた。

 

 

 


建築家 津端 修一さんは、東京大学を出られた後、


帝国ホテル新館の設計をするために、

 

1917年(大正6年)に、来日したアメリカの建築家


フランク・ロイド・ライトさんのお弟子さんで、一緒に日本に来て、


その後日本に残って、設計事務所を開いていた、


アントニン・レーモンドさんの事務所で、6年間、修業された人だ。

 

 

 

 

東京大学では、丹下 健三さんにも、建築を教えてもらったそうだが、


自然派の修一さんには、丹下さんの教えは合わなかったようで、


自然に寄り添った建築を作られていた、レーモンドさんを、


一番の師と仰がれていたそうだ。

 

 

 

 

高蔵寺に建てられた、このお住まいは、修一さんが、レーモンドさんの


設計手法を取り入れて設計したいと、作られた丸太小屋。


レーモンド建築なのです。

 

 

 

小さなワンルームのような空間は、冬場と、夏での、


光と風との付き合い方の違いを、綿密に計画された、


とても心地いい空間だった。

 

 


映画や、写真では、感じることのできない、心地良さの秘密を、


存分に体感できた。

 

 


ひでこさんが、お茶と、手づくりの茶菓子を出していただいたところで、


広島から携えてきた、ドリアンの田村さんが、店が休みのときに、


パンが大好きな、ひでこさんにと焼いてくれた、

 

ブリオッシュを紹介して、とても喜んでもらった。

 

 


お茶をいただいて、一息ついたが、話はまだまだ続きます。


今回は、この辺でよかろうばい。チェスト。

 

 

 

 

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